東日本大震災から11年。あの頃から私はどう変わったのか
- tetsutetsutake
- 2022年3月11日
- 読了時間: 2分
マリリンです。
予約投稿の機能を使って、3/11 14:46に投稿しています。

11年前、文字通り衝撃が日本列島を走りました。
日本の海岸線が全部赤くなっていて「日本を縁取っている」テレビニュースの画面…なんて後にも先にも、3・11だけであってほしいと思います。
山間部の出身なので、海の脅威から直接的な影響は受けていません。
でも、あの後から、知識としてどうするとよいのか、はよく耳にするようになったと思います。
11年、あっという間だったと感じています。
高校生だった私は「何これこわーい」とあまり大事に捉えていませんでした。
でも、大学生になって地元を離れたからこそ感じそして理解したのは、自分が知っている身近な世界以外にも世界は広がっている、ということ。
そして、外の世界には私とは感じ方や考え方が違う人がたくさんいる、ということでした。
それはつまり、高校生だった私と大学生だったどこかの誰かと社会人だったどこかの誰かは、みんな感じたことや考えたことが違うんだろう、と思うのです。
あの時から11年の時が過ぎたので、今では立派な(?)社会人です。
果たして、立派と言っていいのか、自分の言動を振り返ると考えてしまいますが…。
少なくとも、年齢的には立派な社会人ですね!

いつまでも無邪気に「こわーい」なんて言っていられなくなりました。
自分の身は自分で守らないと、誰かが何かをしてくれるとは限らないし、何かをしてくれると期待するのも難しい世の中になってきている、と漠然と思っています。
以前、日本は災害によく合うからこそ、備えができている、という記事を書きました。
(ブログ記事はこちら:トンガの噴火から半月。火山大国として日本の役割を考える )
3・11以前から日本では地震や津波についての防災知識を蓄えてきています。
その意識が一般の人々でも気にかけるようになったのは、3・11があったからではないかと思っています。
人間は、歴史から過去から学べる存在です。
だから、きっと未来を作っていける。
私は、そう思っています。
11年の時が過ぎましたが「まだ」11年と感じるのか「もう」11年と感じるのか。それは、その人がどんな未来を描くのか、その未来予想図によっても変わるでしょう。
私は、人間は忘れる存在なんだな、と最近感じています。
ずっとしんどいのは参ってしまいますし、楽しいことを考える方がよっぽど建設的ですから。
普段は、日常に埋もれていて忘れていても。
せめて、この日だけは。
2011年に何があったのか、忘れないようにしていきたいです。
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